ユーモアとやり取りは切っても切れない関係ですね。
p219第2パラグラフ。
ですから、申し上げたいのは、どうして今回の主題を思いついたのか? ってことです。ハーバード大学で私が講じているのは、「人間の人生の輪」です。そこでは、(私は経験上、まずは臨床心理士ですから)人生の各舞台を特色付け、しかも、精神医学的には心の病になるかもしれない、あの悩ましい危機を考えるところから始めましょうね。でもね、私どもはその次に人間の強さについて議論します。その強さとは、それぞれの発達の舞台で、人が人とやり取りするのに役立つものなんですね。それぞれのケースで、とても心が病んだケースの治療を経験したり、健康な子どもたちを観察したりすると、気付かされる事といえば、子どもが心病んだり健康だったりすることは、子どもと大人の間にやり取りがあるかどうかで大体決まってくる、ということです。子どもと大人がやりとりすると、人間の強さがその力をよみがえらせることができるのですが、そのやり取りがなければ、人間の脆さが「孫の世代、ひ孫の世代へと」世代を超えて受け継がれていきます。
黄金律は、その倫理的徳目、人の良さは、「お互い様」、ということでしょ。人の良さも≪やり取り≫されるんですね。人の強さは、子どもが大人とやり取りできれば、その子どもは育むことができるんですね。もっと正確に申し上げれば、人の強さは、子どもの相手を大人が悦んでしている場合に、その相手になってもらった子どもが育むことができるんです。逆に申し上げれば、長時間労働+長時間通勤などで、子どもに対して「忙しいから後で」などと言うことが習慣になっていたり、子どもの顔を見るのは寝顔だけだってり…、などという生活をしているようでは、子どもの心は病んでいく、ということですね。
いつものパターンで申し訳ありませんが、それはね、
どちらを選ぶのかは、あなた自身です。
ゴメンね。
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