世界が変わるのは、独りが変わることから。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.254の、第3パラグラフから。
自分を確かにできない危機を議論する時、私は心理社会的な危機の性質を、少なくとも、それとはなしに、示してきました。ある年齢において、人間は、身体も、知性も、情緒も育ちますから、人間は新たな人生の危機と向かい合う心構えも力も手に入れます。すなわち、人生の危機とは、選択と試練のことですが、これらは伝統的なやり方で、社会の仕組みが当人に対して、もたらすものです。新たな人生の危機には、その結果が上手く解決することが出来る場合もあれば、そうはいかずに、将来いろんな危機をいや増すことになる、人生の巡り合わせが狂う場合とがありますね。
人生の危機は、うまく解決する場合と、解決せずにさらに将来の危機を悪化させてしまう場合があるようですね。それは私どもの人生の危機に対する実感とピッタリですね。
どなたでも、人生の危機をその度毎に、上手く乗り越えて、卒業したい、と願うものでしょ。このエビロークで、エリクソンは、その勘所を教えてくれていますから、どうぞご期待下さいね。
今日初めて当ブログをご覧になった方も、『青年ルター』のこの終章だけでも、いい学びになりますから、お付き合いくださいね。
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