The Galilean saying and the sense of "I" 「ガリラヤのイエス・キリスト物語と≪私が今ここで生きている≫実感」から,p.336,6行目途中から。 少なくとも,4回目の訳し直し。さっきの続き。
(訳注:通常の意識では,その存在さえ気が付かない,意識の主体である)≪私が今ここに生きている≫の実感の重要性についてお話すれば,「私は『私は今ここに生きている』というものだ」(『旧約聖書』の2番目の章の「出エジプト記」第3章14節にある)という神様のお名前を引用します。リーフ・ボーマンは,「今ここに生きている」(ヘブライ語で,❝hayah❞ ハーヤー)という言葉は,ヤーウェという名前と関係していること,しかも,やり取りを自分から始める心の習慣がある,ことを指摘しています。「今ここに生きている」とは,神の命が回転する場では,今ここに生きていること,今ここで新たな存在になろうとすることと同じこと,さらには,他の人とのやり取りを自らはじめることと,他の人に自ら語りかけることと同じことであるように見えます。「神様は語りかけた,だから,その語り掛けたことが出来事になった」([訳注:『旧約聖書』の真ん中辺にある詩集]「詩編」第33編9節)とありますからね。…
エリクソンが,ライフサイクルの心理学で大切にしていることは,私が今ここで生きていることを実感する心の習慣と,日常生活を,神様を日々礼拝する中で形成されるものと,ハッキリと位置づけたことです。それをユダヤ教などから,学びました。
それは,いずれも,自分から人に語り掛け,自分から人とのやり取りを始める私が今ここで生きていると実感する心の習慣を作り出し,その心の習慣を人生の習慣にした日常生活を送ることに繋がります。
でも,日本の心理学の教科書,エリクソンのライフサイクル心理学の解説書にそう書いてあるものは皆無です。エリクソンの専門家面している「学者」,鑪幹八郎さんや西平直さんらが,おしなべて,エリクソンの封印が解けないので,エリクソンのことが全く理解できていないためです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます