エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ: ナウェンさん版「神意と人意」 : 留まるべきか? 去るべきか?

2016-11-10 00:29:05 | 間奏曲

 

 

 
発達トラウマの子ども等には、まずは、寛容な「良い良心」の大人が必要です
   やり取りより大事なことはありません  やり取り。とても単純な、やり取り。ごくごく当たり前の、やり取り。そんなにありがたみは感じないかもしれません。......
 

 

 ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction、p.116. 今宵は、
外からの声と、内なる声。留まるべきか? 去るべきか?

 

 

 

 

 

 ハーヴァード大学を去る決断をするのは簡単なものではありませんでしたね。何カ月もの間、「ハーヴァード大学は辞めなさい」という私の声に従うべきか? それとも、背くべきか? ハッキリしませんでした。外なる声は止みません「ここでも出来ることはたくさんありますでしょ。みなさんがあなたを必要としています」と。内なる声も聞こえます、「自分の魂を失くしていながら、人に福音を説くことなんてことが許されますか?」と。結局分かったことは、だんだん暗くなる気持ち、断りたい気持ち、喉から手が出るほど、甘えや好意を欲しがる気持ち、神様とやり取りがないという深い気持ちは、私が神様のスピリットに反しているという明らかな印でした。神様のスピリットの果実は、悲しみ、心細さ、別れではなくて、悦び、ソリチュード「1人の豊かさ」、信頼できる仲間、神様の生き方の実現です。ハーヴァード大学を辞めるとすぐに感じたのは、心からの自由、心から満ち溢れる悦び、みなぎるエネルギーでしたから、私は今までの生き方は自分を縛り付けていた牢獄だったなあと思いましたね。

 

 

 

 

 

 矢内原忠雄先生の短文に、「神意と人意」があります。私が早稲田を卒業するころに、西村秀夫先生が、そのコピーを下すったことがありました。正直に言って、当時は「納得できない」と言う感じが強い文書でしたね。矢内原全集の第5巻p.255にあります。

 今回ご紹介したのは、ナウェンさん版の「神意と人意」と言えるものです。こちらはガッテンですね。去るべき時。

 私どもは、神意に従っている時、心からの自由、心から満ち溢れる悦び、みなぎるエネルギーを感じるものですね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 子どもの気持ちが分かるコツ | トップ | インターメッツォ: エリク... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿