やり取りより大事なことはありませんやり取り。とても単純な、やり取り。ごくごく当たり前の、やり取り。そんなにありがたみは感じないかもしれません。 私は、この単純素朴なやり取りほど大事なことは...
仕事や研究などで子どもに寂しい思いをさせることは、爆弾を頭の上に落されたり、津波に飲み込まれたりする以上に、子どもを根源的に傷つけることだ、ということを知っておいた方がベターでしょう。ですから、これは、日本の子どもの方が、ガザやシリアの子どもよりも、遥かに深刻な発達トラウマを負わされているという事実を、キチンと知っておいた方がいい、ということです。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.212の第4パラグラフから。
トラウマを負わされた人は、いろんな人間関係の中で回復します。たとえば、家族との関係、大事に思う人達との関係、断酒会のミーティングとの関係、退役軍人会との関係、教会との関係、専門のセラピストとの関係です。こういった様々な人間関係の役割は、身体も心も「あーんしん」という感じをプレゼントすることですし、それは、「はずかしいなぁ」だとか、「注意される」だとか、「怒られちゃう」だとか、感じないで済むことですが、眼の前で実際に起きていることに、踏み止まり、心の眼を注ぎ、折り合いがつけられるんだなぁ、と元気づけることですね。
発達トラウマを負わされた人は、半ば本能的に、無意識裡に、「怒られる」ようなことをして、大人を試すものだ、と記しました。その時に、その、普通だったら、「子どもが泣くまで叱り飛ばす」ような状況を、「遊び」にして、遊んでしまうような余裕、ゆとりを、大人が持っていることがとっても大事です。ねっ、阿部さん。
他罰的、自罰的な「悪い良心」の大人ではなく、寛容で、鷹揚な「良い良心」の大人が必要です。
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