本気の約束ほど、今の日本で求められているものはありません。当世日本に大流行のウソとゴマカシの対極、それが本気の約束だからです。
p333の第4パラグラフ。
パレスチナの祖国全体においては、ガリラヤはテトラルキアの要素の一部でした。テトラルキアとは、すなわち、ヘロデ王の3人の息子たちが王家を分割したものでした。このヘロデ王は、イエスが誕生したころ、死んだのでした。今やガリラヤは、相対的に申し上げれば、紀元39年までは何とか治めた息子の一人によって、安全に治められていました(ただし、洗礼者ヨハネを私憤によって処刑しましたし、イエスを将来洗礼者ヨハネの後継者になるかもしれない、と疑ったかもしれません)。第2の北東部は、紀元34年まで別の息子が治めていました。しかし、アルケラウスは、ユダヤを受け継いだ息子でしたが、すでに紀元6年に追放されてしまいます。つまり、それ以来、エルサレムは、ローマ帝国の代官(当時は、ご承知のように、ポンテオ・ピラトですが)と、聖職者のお役人たちの間の、不確かな取引によって、治められていました。この聖職者のお役人たちは、1000年前にソロモンが古い神殿を立てた場所に建てた新しい神殿の「主」でした。私は、この取引がユダヤ民族の自らを確かにする道を混乱させる要素として、強調したいと思います。というのも、この取引は、宗教的にも、政治的にも、品位を落とすものだったからです。そして、イエスは、「王」は、もちろん、その取引の犠牲者なんですが、ローマの平和にとって、危険だという噂される存在でした。民族の確かにする道に関して申し上げれば、偶然ですが、イエスもローマ帝国も、当時の共通語、ギリシャ語で話をしていたと思われます。
エルサレム神殿の聖職者のお役人とローマ帝国の取引によって、エルサレムが治められているといいます。しかし、この取引が、まさかユダヤの民族として自分を確かにする道を侵すことになるなんて、あまり気が付きませんよね。エリクソンは、その微妙な問題を、ハッキリ意識していました。
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