#キリストの教え ≒ #唯識の無分別智
#大喜びは必定 #自由平等友愛の心理学 聖書の言葉: 立つこと,≪本当の自分≫の初め,自由の始め いつでも、やり直しが出来る 満月の夜にも不思議な出来事......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと危機』
今朝は,p.173の,12行目から。
備忘録的に,p.168の第2パラグラフも残します。
忘れてはならないのは,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちることの反対は、人に馴染めず心がバラバラだ,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません。
…
ダメだと言う人と一心同体に成るという選択
お母さんと一心同体に成って,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちる心の習慣がありませんと,家族や近隣の人々の中で,素晴らしいとか,望ましいとか思われている役割に対して,小ばかにし,鼻持ちならない敵意を抱くことになる場合が多いんです。人から頼られる役割は,おしなべて,腑に落ちる心の習慣がない若者がひどく毛嫌いする中心点になりがちです。このように,自分に振り向いてくれる人が欲しくて,反抗をしすぎることは,アングロサクソンの一番の古株からラテン系やユダヤ系の新米まで,あらゆる人間に見られます。自分に振り向いてくれる人が欲しくて,反抗をしすぎることは,何でもかんでもアメリカ的なことは大嫌いという態度にもなりますし,馴染めないこと全てに対して,理屈に合わないほど,買いかぶったり,軽蔑しすぎたり,ということにもなりがちです。聖書の神様のいのちが一巡して,晴れ晴れと本当の自分に生きがいのあるいのちが2人に実るのは,(訳注:一粒の麦が落ちて死んで)1人が自分のいのちを空っぽにする時だけなんですよ。反対に,生きている実感が萎んで,1人でも傲慢になると,2人が本当の自分を生きるのが抑え込まれることになります。ケース報告で印象的なバラバラになった自分が示しているのは,悪い良心が勝って,若者のよちよち歩きの一心同体の実感がバカにされている,ということなんです。「『お前はダメだ』と言う心の声が,この頃,よく聞こえるんですよ…。
悪い良心は,「お前はダメだ」と言う心の声です。
悪い良心は,聖書の神様が創造の時に「とても善い」という声を上げたことの,正反対で,破壊をもたらす悪魔です。
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