「人間皆兄弟」、1つの人類という最も単純で最も包括的な物差しを教えを教えてくれる指導者に従う時に、道徳と価値と倫理が一つになる、という点だけは、ハッキリしていますね。
p226最後の行の途中から。
私は、ガンディーが現在もインドで「今ここにい」続けていることについて、後ほど一言申し上げたいと思います。しかし、人間はまた、最も無垢な指導者たちを執拗に裏切り続けても来ました。しかも、それは、道徳的な理由、ないしは、価値の理由として通用するものを語って、裏切り続けたわけですね。このとき、人間は今や、科学技術の土台に関する人間の遺産に対しても、潜在的に裏切りを準備しているんですね。科学技術が単に役に立つというだけで、科学技術がどういう結果になるかは問わずに、良いと見なして、裏切りを働いているわけです。もはや、私どもは、人間に備わっている「良いもの」も「悪いもの」も強調する免状を持ち合わせていません。一歩一歩、人間は一緒に発達しますでしょ。道徳を重んじれば、道徳的に服従しますし、熱狂的になれば、ある価値一辺倒になりますし、厳格な保守の立場となれば、大人の倫理になります。
科学技術に頼ると、最も大事な知恵を教えてくれる、最も無垢な指導者、たとえば、ガンディーのような指導者を裏切ることになる、と言います。科学技術に頼りすぎる時、人間は、自分に内在する「善」も「悪」も区別できなくなっちゃうんですね。それが圧倒的な自然破壊にもなり、核による大量虐殺に繋がっていくことも忘れちゃってるんですね。
私どもは、どうすれば、そんな科学技術に踊らされることなく、ガンディーのような指導者に従っていくことができるのでしょうか?
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