人を大事にすることの一つの結果が、満足のいくセックスに繋がる、という至極当たり前のことが、技術に頼りすぎていると、分からなくなっちゃうんですね。
p83の第2パラグラフ。
精神分析治療のデータが、どうすればセックスが上手にできるのかを知っていれば、セックスで自分も満足できるし、相手を大事にもできる、という考えが間違いだと、指摘していますが、人を大事にすることは、お互いに性的な満足をすることに付随することだという前提自体、フロイト理論の多大な影響を受けています。フロイトにとっても、人を大事にすること自体が性的なことだからです。「性的に(生殖で)人を大事にすることは、人が最大の満足を得ることになるし、その結果として、実際にその人にとってあらゆる幸せの元型となる、という経験を知った者は、セックスの関係の道に沿って、あらゆる幸せがあると、ばかりに探さずにはおられませんし、生殖に繋がる性愛を、人生で一番大事なこととせずにはおられなくなります」。
物質主義、技術主義の一つの帰結なんでしょうね。フロイトでさえ、こうなんですからね。でも、これでは、人間は本当には、人を大事にできないことに、遠からず気づくことになりますね。
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