フロイトの精神分析理論も、「性的に(生殖で)人を大事にすることは、人が最大の満足を得ることになるし、その結果として、実際にその人にとってあらゆる幸せの元型となる」と考えがちなんですね。
p83の下から11行目途中から。
兄弟に様に人を大事にする経験は、フロイトにとって、性的願望の結果です。しかし、それは、性的衝動が、「禁じられた目的」を伴う衝動に変わる場合です。「禁じられた目的をもって、人を大事にすることは、実際、もともとは感覚的に人を大事にすることに満ち溢れていますし、無意識には、いつまでも、そうなんですね」。溶け合い、一つになる感じ(「大洋感情」)は、神秘体験の本質的部分ですし、他者や仲間と連帯する最も強い感じの根っこにあるものですが、その感じに関する限り、それは、フロイトは、精神病理の現象だと解釈したんですね。それはフロイトのよれば、赤ちゃんの頃の「境目のない自己愛」の状態への退行だとみなされたからなんですね。
フロイトのよれば、ヌミノースを体験するような最高の感覚状態は、幼稚なもの、病的なものと見なされたんですね。ですから、人と連帯し、一体感を感じることも、病的だとされました。しかしそれだけではないんですね。人を兄弟のように大事にすることさえ、病的とされてしまいました。フロイトの見方は、非常に一面的ですね。ヌミノースのような最高の感覚状態の、非常に創造的な側面を見逃しているからですね。それを補ったのがねユングであることは、歴史的事実でしょう。
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