人は不安になったりすれば、物事を客観的に見ることなど望めません。
p110第2パラグラフ。
心が病んだ人や、夢想家は、外なる世界を客観的な見る見方を、「十分に」持つことができません。でもね、私どもでも、大なり小なり、心を病んでんですね。大なり小なり眠っています。私どもも、世界を客観的に見られない場合があります。それは自己愛に傾く、心の向きのためです。実例を挙げましょうか? 自分自身やお隣さん、を眺めてみたり、新聞を読んでみたりすれば、簡単にその実例が見つかるでしょう。その人たちは、自己愛の程度が、まちまちです。たとえば、1人の女性が、医者を呼んで、「今日の午後、病院に伺いたいんです」と言います。医者が「今日の午後は所用があります。明日でしたら、診察できますよ」と答えます。その女性の答えは「でもね、お医者さん、私は病院から五分の所に住んでんですね」です。その女性は医者の説明が理解できなかったんですね。医者の説明は、その女性にとっては、距離が短いことが、医者の時間を節約することにならない、ということです。その女性は状況を自己愛的に見てんですね。すなわち、自分は時間を節約できるんだから、医者も時間を節約できるはずだ、という訳ですね。その女性にとって唯一の現実は、自分自身だけなんですね。
自己愛的な人は、自己中心の視点しかないんですね。それは意外にも、身の回りに結構存在しますよね。
それは自分自身の自信のなさを、他者をコントロールして補おうとする心の傾きですね。その他者をコントロールする人が「人間を上下2つに分けるウソ」の猛毒にやられちゃってる場合、その他者をコントロールしようとする心の傾きが猛烈になるんです。
大体そういう人は、「子どもっぽい顔」してんですね。齢60が近くなってもね。
あなたも、子どもっぽい顔してませんか?
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