「一粒の辛子種」の譬えは、圧倒的な恵みを示すものですね。「山椒は小粒でピリリと辛い」と比べることができないくらいの、福音です。
p356第3パラグラフ。
このテキストが物語ることは、テキストそのものです。しかし、ペリンはユダヤ文学の見られるイメージが、この譬えにはあると言います。それは、高い木の枝に止まる鳥たちは、救世主が再び来られる未来に、全人類共有の営巣地を見出した国々を象徴しています。このようにして、譬えは、最も単純なこと、最も具体的なことから、無限の意味までを導く、眼の前の≪いまここ≫から始まる未来をハッキリと見通す約束が、どんなお馬鹿(あの「絵にかいたバカ」にも分かるかなぁ 訳注)でも分かるくらい、分かり易いイメージを繰り返し教えてくれます。
「放蕩息子」の譬えもそうですが、この「一粒の辛子種」の譬えは、嬉しい「約束」を示してんですね。それは、臨床において、嬉しい「約束」が極めて大事なのと、全く同じです。子どもには、ですから、嬉しい「約束」を繰り返し大人が守ることが、いつでも何度でも、何よりも大事なんですね。
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