根源的信頼感って、神様を信頼することと同じです。ですから、根源的なんですね。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.114の、最後。
エリックがよくしてきましたように、ひとりびとりの人生の巡り合わせは、その人その人の人生が実を結ぶ文脈を抜きにしては、ちゃんと理解すること等、できませんね。ひとりびとりも社会も、複雑に編み上げられていますし、変わり続ける変化の中で、ダイナミックにやり取りもしています。エリックは次のように記しています、「文化的に見て、年寄りでも実現できる理想がなければ、私どもの文明は、全生涯という概念を現実に想像することもできません」と。それが想像できないことの結果、私どもの社会は、年寄りたちを、社会の大事な模範やシキタリに組み込んだりするやり方も、社会の欠かすことのできない役割をお願いしたりするやり方も、本当に知ったことにはなりません。年寄りも社会の一員として認めることよりも、年寄りひとりびとりが、仲間外にされたり、無視されたり、見過ごされことになりかねません。年寄りはもはや、叡智の持ち主ではなくなり、単なる恥さらしになってしまいます。九番目の舞台の困難の故に、年寄りが社会的に、ますます無視されるようになりますし、またそれと同時に、社会的に無視されることのよって、年寄りの困難がますます悪くなることを考えますと、年寄りと社会の間のやり取りについて、さらに詳細の考えることにしましょうか。
社会と年寄りのやり取りがなくなることは、年寄りの不幸を呼ぶだけではなくて、社会の不幸も招くことにもなります。そういう、人生に対するトータルなヴィジョンの大切さを、エリックとジョアンはいつも考えていました。
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