エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

教育と「管理の正義」 5訂版

2015-02-20 06:23:08 | エリクソンの発達臨床心理

 

 私の嫌いなのは、管理教育です。子どもを管理の対象にはするけれども、教育ではないからです。教育はもともとラテン語で、エデュカティオ educatio、「引き出す」という意味です。管理教育は、事実上「詰め込み」教育、「押し付け」教育ですから、そもそも言語矛盾。

 管理教育は、私はその一般論を語れるだけの、学びも経験もありません。今日このブログでお伝えしようとするのは、あくまで私自身が経験したことを、デフォルメしたり、再構成したりして、私の経験に基づいて、私が感じ、考えたことなんですね。ですから、いつでもどこでもそうだ、ということを申し上げているのじゃないことにご注意くださいね。

 管理教育をする人は、私の印象では、ある種の共通点があります。それは、管理の仕方。その管理は ①秘密主義と結びついているということですね。 ①「裏から手を回す」ことで管理しようとするんですね。この「管理」は ②「操作」と同義語です。ですから、管理教育は、子どもを人間とは認めません。 ③子どもをモノや機械、ロボット同然と見下げているんですね。では、それは何故なんでしょうか? それはね、 ④管理教育をやる人は、自分に自信がないし、恥が深いので、管理教育をやって、自分を常に「上」にしておかなくっちゃ、気が済まないからなんですね、実は。恥が深いので、表立たないで、「裏から手を回す」んですね、実は。それは、結局は子どもたちにも伝わります。子どもの立場に近い、私ども、子どもの心理支援をしている者も、それとすぐに分かります。

 「裏から手を回す」の同義語。たとえば、「裏工作する」、「こそこそ動く」、「裏取引」。嫌な感じですね。実際に管理教育から受ける印象、感じは言葉の印象通り、やっぱり、嫌な感じです。

 この管理教育は、「正しいこと」「正義」を重んじます。この文字面だけをみれば、「結構なことじゃないか」と思う向きもおありでしょう。しかし、これが曲者。この「正しいこと」「正義」は、多くの場合、その「正しいこと」を教育をする者と、教育を享受する者とが、共に楽しむためにあるのじゃないからなんですね。そうじゃなくて、 ⑤教員が、子どもや私ども心理支援をするものを「裁くため」に、この「正しいこと」「正義」が、あるんです。とんでもないでしょ。その多くは、ご多分に洩れずに、「裏から手を回す」ことでやるわけですね。それで「裁く」段になって、初めて表に出てくる、あるいは、裁く段になっても、「裏にいて」、誰かほかの人に裁かせる…。

 もちろん、 ⑦こんな人に、教育ができるはずがありません。ただ、教員として給料は貰っています。 ⑧教育をしない人が、教員として給料は貰っている。残念なことであるばかりではなく、不幸なことだと、私は考えます。

 私どもは、それでも、本物の教育、子どものポテンシャルを引き出す教育をするだけです。

 

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