今宵は、1人の無名の女性の言葉を学びます。その女性は、西村秀夫先生の奥さん、西村董子さん。世田谷は深沢のご出身。トルストイを岩波文庫に翻訳した中村白葉のご親戚とか。『いつくしみふかき 主の手にひかれて 西村董子送別の記録』(1999)より。
今までも、之でもかこれでもかと試練を与えられたが、それと同時に何かのがるべき道も必ず備えていた頂いて来た。がけっぷつまで行かなければならないが、がけっぷちまで行って、そこでおちずに立ち直らせていただくことが何回もあった。だから、試練がなく平穏無事でという訳には行かないが、滅亡に至らずに、何かを頂いて歩き続けることを許されて来た、というのが実感である。
いつも、讃美歌を歌う時は副旋律を歌って、ハーモニーを付ける役割。西村秀夫先生が理想的な話をすれば、その西村先生も理想的には行かないことを正直に、ユーモラスに語る人でした。
神様を心の底から信頼して、人生を歩み続けた人だと、強く感じる、私にとって一生忘れることができない方です。
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