幼稚な道徳と、青年の価値意識と、大人の倫理どんな技術でも、その目的を忘れて使う人間は、最も人間らしいものを失っています。それは、大川小学校の「事件」で明らかなように、どんな組織でも、その目的を忘れてし...
タッチ、それは、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもの癒しに、なくてはならないものです。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.218の、第2パラグラフから。
私は、大好きなボデーワークのトレイナー、リシア・スカイさんにお尋ねしたのは、発達トラウマを抱えた愛着障害の人に対して、リシアさんがどのようにボディ・ワークをするのかなぁ?ということです。彼女が答えた言葉をいくつか挙げてみますね。「私は、人間としての繋がりが出来ない内は、ボディーワークはしません。履歴も取りません。発達トラウマをどうして負うことになったのか?だとか、何があったのか?とか、聴きません。私が確かめるのは、その人の身体の何処に、その人がいるのか? ということなんですね。私がお尋ねするのは、『身体の何処を診てほしいの?』ということです。その間ずっと私が看ているのは、相手の人の心の姿勢です。その相手が私を見ているかどうか? 緊張している感じか? それとも、リラックスしている感じなのか? その人が私に人間としての繋がりを感じているのかどうか? ということを確かめてんですね」。
このボディーワークのトレイナーのリシアさん、臨床心理士みたい、ですね。ボディーワークなのに、見ようとしているのは、内面、心の姿勢、自分と繋がっているのか?という点だからです。
発達トラウマ、愛着障害の傷が深いほど、この「人間として繋がる」感じが弱いし、繋がることへの抵抗が強い。それは、関わりづらさになる場合もありますし、気持ちを出すことへの「強い恥」と、それから、その「強い恥」を感じることに対して、自分がいけないのか、その場にいる大人が悪いのか、判然とすることが出来ずに、「強い怒り」を感じている場合もあります。繋がることへの抵抗も厄介ですが、後者の「強い恥」と「強い怒り」のケースも、非常に厄介ですね。
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