エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

見ることと見識

2016-01-29 08:43:38 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
キリスト教の英雄時代
  ルターに影響した価値とは何だったのか? p178の第3パラグラフ。      キ...
 

 「叡智」は、「見て知る」ことから。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.6の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもは、見るという素晴らしい恵みを当然と思うのは、見ることが、期待通り、思い通りに、役立たない場合か、まだ、役立たない時でしょう。私どもはずっと昔を振り返ることもできますし、そうすれば、自分自身の人生や自分が住んでいる世の中について理解するのに役立ちます。私どもは将来を展望することもできますし、見ることは、単に見たいものや望ましい夢を見るだけになるかもしれませんね。でもね、未来を期待する見通しがなければ、心配で心配で元気がなくなりますでしょ。しかし、大らかなアメリカ人のやり方では、昔からの叡智を受け容れたことを示す言い回しがあることが分かりますよ。日常的に、" Oh I see. I get it. I understand " 見ることが、分かったことになりますよね。さらに、enlightment 光を当てることが「啓蒙」になり、discernment シッカリ見ることが、「判断力」「洞察力」になり、insight 内側を見ることが「卓見」「洞察」になるなど、見ることや資格に関係する言葉に敬意を払って理解していることが分かりますでしょ。

 

 

 

 

 

 ちょっと考えても、見ることと深い理解、見識と結びついていることが分かりますね。

 

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