エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

話し言葉と、出来事(態度)が一致しない、深い悲しみ

2016-03-03 03:30:26 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
「日本を、取り戻す。」のウソ
  IS(イスラム国)による日本人拘束と殺害事件は、非常に残念な事件でした。2人の日本市民と1人のヨルダン軍人と1人の死刑囚がなくなったからです。また、日本人の人...
 

 

 人の心は、見通し、話し言葉、出来事の結びつき、組合せから出来ているので、この3つがしっかり結びつくほどに、自分を確かにさせることもできますよね。正気を保つことも、馬鹿げたことを「おめでたい」とハッキリ言うことも、デッカイ希望を抱くことも、光をいただくことも、できますよ。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.238の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 いくつかのグループで、私は退役軍人の人たちを指導してて、この2つのやり方が別々に働いていることが分かる場合がありましたね。軍人らは、死と破壊をもたらす身の毛もよだつような話をしながら、そう語る人たちの身体からは、同時に、私は誇りをもってますよ、という感じと、我こそはアメリカ陸軍なり、という感じが、発せられてたんですね。同じように、患者の中には、自分が生まれ育った家族について幸せそうに話をしながら、同時に、そういう話を語る身体は倒れ込み、語る声は、不安とイライラする本音を物語っている、というような人が多いんですよ。1つの自分に気付くやり方は、世間受けの良い、世間向けの話をでっちあげる訳ですけれども、もし私どもがその話だけをよく聴けば、その語りこそが、すべての真実だと思い違いしますでしよ。でもね、もう1つの自分に気付くやり方は、もう1つ別の真実を隠してんですね。すなわち、私どもは同じ状況を本音ではどのように体験しているのか、という、本音の体験の仕方ですね。繋がらなくちゃならないし、馴染まなくっちゃいけないし、和解しない訳にはいないのが、この本音の体験の仕方の方なんですね。

 

 

 

 本音の深いレベルの体験が大事なんですね。話し言葉だけなら、真実もウソも語れます。浅いレベルの意識では、話し言葉は上滑りな、歯が浮く様な、ウソを平気で並べることが出来ますよ。でもね、本音のレベル、本気のレベルでは、そうは生きません。いろんな気持ち、いろんな感情が、その深いレベルにはつきものだからです。深い悲しみ、激しい怒り、殺したいくらいの強い憎しみ…。そんなものには関わりたくない、と思うのも人情でしょ。だから、うわべのウソ、うわべのつき合い、うわべの世間受けの良い話をするわけですね。

 そんな日常をいくら重ねても、無意識の闇に隠された≪本当の自分≫、本音は死んだままですね。本音の自分、≪本当の自分≫に気付き、それを生かしていくことが、どれだけ大事か、発達トラウマを抱えた人達と関わるほどに、その大事さにも、それだけ気付きを与えれることになりますもんね。

 

 

 

 

 

 

アメリカじゃぁ、女性チャプレンも珍しくありません。

 

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