遊びが、大人になってからの様々な活動のひな形になっていることを、ハッキリ示してくれました。特に、どういう人をリーダーにするのか? 例えば、頭脳明晰で、信頼感のあるケネディのようなリーダーを選ぶのか、それとも、基本的には無能で(河合隼雄が言う中空構造)、おみこしに乗ることが好きな人(人間を上下に分けるウソを信じて、「上」になるのが好きな人)を、(日本のように)選ぶのか。あるいは、集団の中の行動のルールをどのようにするか? ですね。北欧やオランダのように、民主主義が浸透していて、人権を守り、人間的な暮らしを尊重するルールを作るのか、建前では、「民主主義」を標榜していても、実際には、「皆さんご一緒に」と横並びで、人権尊重という少数意見はないがしろにされ、「全体」という名の権力に都合のよいことを優先するルールにするのか? リーダーにしても、行動のルールにしても、その差と、その選択の結果、どういう社会と人の暮らしができるか? ということの差、は実に大きいですよね。
今日は「日常生活の儀式化」がテーマです。
「これこそ、私どもがすべきことです」ということを繰り返す時、私が申し上げたいことは、もちろん、これをここで実際にやろう、というのではありません。一冊のテキストでも、いまあるテキストを何冊か調べても、この課題をやり遂げることはできないでしょう。それで私は、生涯を通して、陽気で楽しい、を活用する唯一の方法なのに、注目されることがほとんどないこと、すなわち、日常生活の儀式化と私が呼んでいることを、一覧表にしようと思います。
しかし、遊びの場所という側面から離れる前に、私は一言だけゲームについて申し上げなくてはならないことは、ゲームは、境界線がはっきりしている遊び場を、一番社交的に、一番和やかに活用している、ということです。その境界線がはっきりしている遊び場では、自分に割り当てられた役割を完璧なまでに果たす際に、その遊んでいる人達は、自分自身が運命のおもちゃにされる、ということのです。お互いにやり取りをすることは、私どもが見てきたとおり、人々がお互いの行動の自由を、親しく、あるいは、淫らに、増し加える熱心さとその能力によって影響されます。しかしながら、自分がいろんなことをする力が伸びてくるにしたがって、それぞれの人は、同時に、執拗に境界線を経験することとなります。その境界線とは、「お互いに相手を敵と感じる気持ち」が、一人の人を、もう一人の人の敵にし、一つのグルーブをもう一つのグルーブの敵にしてしまうところなのです。この分かれ目こそ、子どもの頃からずっと、ゲームの中で筋立てられ、形を与えられるものである、と思われます。このゲームがしだいに、十分に形を整えたスポーツになるのです。ここでもまた、境界線がハッキリした舞台が、実験場として区別されますし、不思議な意味を備えた場が、参加者にとっても、観客にとっても、明確に定義されています。敵対するチーム同士は、一つの明確に区別された分かれ目の両側に立って、関わる(「関わり」とは、やり取りであると同時に、闘いでもあります)ようになります。いかにして、陽気で楽しいことが駆け引きになるかは、動物においても、人間においてと合わせて、最も興味深い出来事の一つです。
ここも、陽気で楽しい、という人間にとって、決定的に重要なことが、敵味方の駆け引きになる場合もある、という、非常にアンビバレントであることが明らかになります。境界線がはっきりしている遊び場は、人間にとって不可欠な空間であるのにもかかわらず、自分に割り当てられた役割を完璧なまでに果たすことに心奪われると、その人は運命のおもちゃにされてしまう、ああっ、人間の根底には、悲劇が準備されているのでしょうか? なぜなんでしょう? 自分に割り当てられた役割そのものが、目的になってはいけないのでしょうか? 役割そのものが、自己目的化する時には、きっと、一番社交的に、一番和やかに、ということが失われ、その代りに、堅苦しい真面目さだけが残るのでしょう。きっと、そればかりではないでしょう。役割そのものが自己目的化する時には、陽気で楽しい、というゆとり(行動の自由)が失われ、その代りに、周りの人を、「ある時は説得して、ある時は(金で、地位で、女[男]で、名誉で…)誘惑して、また、ある時は出し抜いて、ある時はウソを言い、それでもだめなら、命、財産、地位、女[男]、名誉などを奪うぞ(『殺すぞ!」)と脅して」などなど、という駆け引きをして、役割を果たすことだけしか見えなくなってしまうのです。人間にとって何が大事なのか、ここでハッキリ分かりますよね。
それは、役割そのものよりも、その役割の目的、ヴィジョンです。その目的、ヴィジョンをハッキリ意識することです。そして、その目的こそ、
陽気で楽しい、スピリッツ、すなわち、
お互いを価値あるものと認め合う
ということです。
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