加藤周一さん。昨日書こうと思ったことを、今夜、書くことにします。昨日は宮田光雄先生のお写真を見て、そのことに触れてからと思っていましたら、いつの間にか、それで一つの文章が出来てたんですね。
なんで、加藤周一さんのことを書こうと思ったかというと、また横道ですけれども、昨日、北星学園の大山綱夫先生からお手紙を戴いたんです。西村秀夫の「聖書を学ぶ会」で、教えていただいてきた大山先生です。20才からですから、もう30年以上前からのお付き合いです。それで、私が「聖書を学ぶ会」でレポーターになった時のレジュメから、このブログにも何かを書こうと思った訳ですね。
それは、ルカによる福音書 22章63節から65節を学んだ時のレジュメです。私の翻訳ですと、この聖句は、
「63そして、イエスの見張りをしていた、あの男たちが、イエスを繰り返しバカにして笑って、殴った。64それから、その男たちはイエスに眼隠しをして、何度も何度も要求して言った。65「当ててみろ。打ったのは、だ~れだ。」(男たちは)他にもたくさん悪口を言って、イエスに向かっていつまでも(ぶつぶつ)言い続けた。」
になります。この時のレジュメのタイトルは「『闇の支配』と『キリストの信頼』」です。この聖句の直接の学びについては、また別の機会としたいと思います。今回は、この聖句の学びの時に、加藤周一さんの文書も援用した、その文書をご紹介したいと思います。それは、「下」、あるいは、「闇」=「病」と見なされる場に踏みとどまる所から、視点が転回する=メタノイアがもたらされることについて、述べているところで、加藤周一さんの文書を引用したんですね。次がその文書です。
「戦車は結局プラハの春を押し潰してしまうのですけれども、押し潰される前に、あるいは押し潰されるときに、それを歌うこと、それは戦車に対する批判なのです。その批判は、戦車がどうしても壊すことができないものです。(中略)新約聖書に有名な『汝ら野の百合を見よ』という言葉があります。『ソロモンの栄華の極みのときだにも、その装いはこの花の一つにしかざりき』と。野の百合の一つはソロモンの宮殿の栄華のすべてよりもきれいだということです。(中略)私のいおうとしていることは、伝統的な約束事、社会の価値の上下関係から自由になるということです。つまり価値の転換です。文学というのは価値体系を転換する事業なのです」(加藤周一『私にとっての二○世紀』(岩波現代文庫)pp.249-252)
ここで加藤周一さんが「価値の転換」「価値転換」と言っていることが、まさに、メタノイアの真実な意味だと、私はレジョメを書いた当時も考え、そして、いまも、そのように考えているのですね。
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