遊びこそ天のお恵み
儀式化の概念の重要性について、述べられていました。今日は、エリクソンが謝辞を通して、「遊びこそ天のお恵みである」と宣言します。翻訳します。 私は私どものセミナーから多...
エリクソンは、この序文を書いたとき、すでに73(72)才。文章にありますように、すでにハーバード大学をリタイヤしています。奥さんのジョアンと一緒に、一生を、アイデンティティという名の、自分を確かにする道を探し続けた人生でした。もっとも、エリクソンは大変長命なので、この後20年以上も、長生きしたのですが。
エリクソンは、一生かけて、自分を確かにする道を探し続けた、と今申し上げました。この自分を確かにする道において、何が根源的か? と問われれば、それは、自分自身を感じていること、自分自身であることだと私は考えます。自分自身を感じること、それをエリクソンは、≪ 「私」が生かされている感じ、自分自身の感じ a sense of "I"≫と呼びます。考えてみたら、自分であることを感じることなしに、自分自身であるなんて、不可能でしょうからね。
エリクソンが優れている点はいろいろあるのでしょう。挙げればきりがないのかもしれません。エリクソンが最も優れている諸々の中で最も大事なことの一つは、遊びの重要性に気付いて、それを自分自身を確かにする道を整える上で、必要不可欠のものだ、とはっきり示したことだと、私は考えます。それは、遊びを通して、遊びのおかげで、自分自身を感じるその感じが整えられる、ということです。
しかし、それだけではないのです。その遊びには、必ず、遊び相手(それをエリクソンは、カウンタープレイヤー counterplayerと呼びます。)があり、その遊び相手とのやり取り(英語ではミューチャリティ mutualityといいます。「相互性」とやったら、話し言葉から離れてしまいます)が非常に大事にしたことです。遊びにおいて、遊び相手とやり取りすることが、自分自身を感じることを整える上で必要不可欠である、ということを明確にしてくれたことも、エリクソンが最も優れている点だと考えます。
そして、遊びの不思議です。子どもは誰に教えられもしないのに、この遊びが自分自身を確かにする道に繋がっていることを知っているかのようです。自分自身の足りないところを補い、自分の最深欲求にこたえる答えを見つけ出すためには、遊びが必要不可欠だと知っているかのようです。何故なんでしょうか?
それは、遊びの “不思議の” 恵みのおかげで、自分自身の声に気付き、自分自身の声に聴き従う練習ができるからでしょうね。そして、自分を織り上げ、自分になっていけるからでしょうね。
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