投影(投映)は日々あること、その日々ある投映をしているようでは、自分育てはできません。したがって、子どもの発達に役立つこともできません。
p94第3パラグラフ。
もう一つ別の投影は、自分の課題を、子どもに投影することです。このような投影すべての中で一番よくあるのは、子どもを期待する場合です。そのような場合は、子どもの対する期待は、主に、親自身の実存的な課題を、子どもの実存的課題に投映することによって決まってきます。自分自身の人生を意味あるものにできないと感じている時、その人は自分の子どもの人生を道具にして、自分の人生を意味あるものにしようとします。しかしながら、そうすると、自分自身の内面でうまくいかない人は、必ず、自分の子どものためでも、うまくいかないものですね。自分自身内省できないのは、自分の実存的課題は、独力で解決することによってのみ解決するのであって、代理に子どもの課題を解決しようとしても、解決できないからでしょ。子どもの実存的な課題を解決できないのは、子どもたちが自分自身で答えを探すことを助けるために必要な、まさに資質が親の自分にないからなんですね。
私は、日ごろ子どもの臨床をしてますでしょ。エリクソンがここで紹介しているケースは、かなり重たいケースですね。親自身の課題が深い。今どきの日本、まあ、投影のないケースなど皆無に使いのですが、自分の期待を子どもに投映するケースに比べて、自分の課題を、子どもの課題で解決しようと無意識理でしているケースは、はるかに重たい。その母親(父親)の病態が、重たい神経症レベルから、境界性人格障害に食い込むケースまでありますね。
この場合、今の日本のスクールカウンセリングのシステムでは、対応できない場合がほとんどですね。残念ですけれどもね。これを改善するのは、学校配置の臨床心理士も常勤化し、しかも、2クラスに1人くらいの配置にしないと、到底対応できないのが、今の日本の非常に困難で貧困な現状です。
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