インターメッツォ : 自由って、素晴らしい!本音の信頼 喜びの福音 改訂版 ルターは毎日説教をしました。毎日ブログを更新する人もいます。 Young Man Luther 『青年ルター』p......
今宵の聖書の言葉はἐλάχιστος,エラキストス,最小の,小事,です。
もともとは,ミクロ 小さいことの単位にもなった言葉の語源にもなったμικρός,ミクロスの最上級として使われていたそうですね。
この言葉は,『新約聖書』の3番目のイエス・キリスト物語「ルカによる福音書」第16章「不正な管理人」のたとえ,と言うタイトルのところにあります。前田護郎先生の聖書では,「神と富」のタイトルになっています。
「 神と富
9それでわたしはいう、不正の富で友だちをつくりなさい。富がなくなったとき、あなた方を永遠の住居に迎えてくれよう。10小事に忠実なものは大事にも忠実である。小事に不忠実なものは大事にも不忠実である。11それゆえ、不正な富に忠実でなければ、だれが真の富をまかせよう。12また、(地上にある)他人のものについて忠実でなければ、だれがあなた方に(天にある)自分のものを与えよう。13どの僕もふたりの主人には仕ええない。ひとりを憎んで他を愛するか、ひとりに親しんで他をうとんじるか、である。あなた方は神と富との両方には仕ええない」と。」
小事は,「最も小さいもの」と言う言葉と似てますね。ひとつ前のイエス・キリスト物語「マタイによる福音書」第25章40節。
「40王は答えよう、『本当にいう、このいと小さいわが兄弟のひとりにあなた方がしたことはわたしにしてくれたことになる』。」
ここでは,「いと小さきわが兄弟」となっています。
「まあいいやぁ」となりがちな小事,つまらないこと,あるいは,弱い立場の人にも,心を込めて忠実に関わると善い。
どなたでも,「まあいいやぁ」と軽く考えて,関わらずにホットクこと,ホッタラカシ,って,ありますよね。でも,「まあいいやぁ」と見なして手を抜かずに,「大切だから」と思って関わると善い。
なぜだと思いますか?
その一人,その一つと関わることが,すべての人,すべてのことを大事にすることと等しいからです。
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