ルターは詩編講義の中で、良心の課題を問題にします。
Young Man Luther 『青年ルター』p195の第2パラグラフ五行目途中から。
良心は内なる大地であって、私どもと神とが、夫と妻のように、共に生きることを学部場でなくてはなりません。心理学的に申し上げれば、良心は自我が超自我と出会う場となります。すなわち、私どもの自己が、良い良心とピッタリと調和して、生きることもできれば 悪い良心から疎外される場合もあります。ルターが、悪い良心の中にうごめく、脅しや激しい怒りを声に出したのは、まさに、「偽キリスト」が、hoc non fecisti「あなたは、私が言ったことを未だやってない」と戒めを言われたと、語った時でした。この種の言葉は、良心を否定的なものと見なしますし、暗く絶望的な言葉を魂に焼き付けます。これこそ、conscientia cauterisata 「焼きごてを当てられた良心」です。
焼きごてが当てられた良心。悪口がたくさん詰まっていますし、それを言われたときの悲しみ、寂しさ、口惜しさ、激しい怒り、憎しみがべったりとくっついている悪い良心の典型です。
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