子どもの日に : ≪陽気で楽しい≫温もりを病気だから、人を惹きつける 一見強そうなルターにも、いろんな弱さがありました。 Young Man Luther 『青年ルター』p197の第3パ......
昨日は,こどもの日でしたね。東京は1日中,雲がほとんどない,真っ青な青空の1日でした。
今宵の聖書の言葉はἀπόστολοσ,アポストロス,お使い,です。
テレビ番組で,4歳か5歳位の子どもが,お使いを頼まれて,出かける様子を隠しカメラで撮る番組。「はじめてのおつかい」。皆さんも一度くらいはご覧になった,と言う方もあるんじゃないですか? 八百屋さんに行ったり,肉屋さんに行ったりして,頼まれたものを買って,また,自宅まで帰って,お母さんのお使いをやり遂げて,メデタシ,メデタシ。
ウィキペディアによれば,今も,年に2回ほど放送されているそうです。幼い子どもが,怖い思いをしながら,道に迷いながら,寄り道をしながら,目的のお使いを無事に済ませて,家に帰る。すると,親子で喜び合って,中には泣き出す子まで出ます。その子の姿に,スタジオのホストならずとも,微笑んだり,もらい泣きをしたりする人も,おられることでしょう。
聖書の出てくるἀπόστολοσは,使徒,と翻訳されることが通例になっていますから,お使い,とやったら,怒る人がいるかもしれませんね。でも,辞書によれば,堅い表現ですけれども,もともとの意味,「字義は~から職権を委ねられて遣わされた者」だと言います。まさしく,お使い(お遣い)そのものでしょ。
キリスト者でなくても,この世に生まれたら,ひとりびとりが,いわば神様からのお使い,使命があるのかもしれませんよね。西村秀夫先生は,「使命がある限り,生かしていただく」と言ってましたよ。実際は,その使命を自覚している人と,なんだかあいまいな人がいるのでしょうけれどもね。その使命を,私どもも,「はじめてのおつかい」の子どもみたいに,怖い思いをしながら,道に迷いながら,寄り道をしながら,とぼとぼと,人生という道を歩んで,成し遂げている訳でしょ。それでも,帰宅したときに,天のお父様と,真っ青な青空の下,歓びあって涙を流す時を忘れずに,日々を歩みたい。
そんなことを思った,子どもの日,でしたね。
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