エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

腑に落ちるとトラウマ

2015-10-12 04:31:09 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
自分自身を失ったら・・・。
  トマスによる福音書では、見失った羊は、一番デカい羊。それは「本当の自分」だから。 p353第3パラグラフ。   ...
 

 以前、本田哲郎さんの本物の信頼について、このブログでも書いたことがありました(本田哲郎司祭は、なぜ 「日曜ごとに教会に来なくていいんだよ」 と言うのか?他)。その中で

「どこまでも大事なのは、最も大事なのは、「お互いに大事にしあう」ことだけ。しかし、また、その行動を選択する際の目印、行動原理が大事ですね。それは、本田哲郎司祭によれば、ギリシア語の σπλαγχνιζομαι スプランクニツォマイ、「はらわたを突き動かされる」ということです。これは英語にすると、com-passion 普通は「同情」とか「憐れみ」とかと、訳されてしまいます。でも、これはもともとは、「passion(十字架の)苦しみを com共にする」、という意味であることを忘れてはいけませんね。これは、本田哲郎司祭の言葉を借りれば、「人の苦しみを『ほっとけない』と思う気持ちだ」と言います。」
と書きました。エリクソンの言葉で言えば、これはautonomy オートノミー 「自分の感じを自分が法則(自分がどう生きるかということの指針)としてもいい感じ」ですね。これがとても大事です。

 でも、この「はらわたを突き動かさらる」とは、日本語の「腑に落ちない」に近い。もちろん、「はらわたを継ぎ動かされる」の方が、行動に結びつきやすい。だけれども、「腑に落ちない」を大事にしていくことは、内省を経て、行動に繋がることがあるはず。

 上の写真は、ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』のハードカヴァー版のカヴァーの表紙裏の写真です。そのp.97-100に Agency : owning your life 「生かされている実感 : 本当の自分を生きること」という節があります。この中に、この「腑に落ちる」の「腑」が出てきます。ヴァン・デ・コーク教授によれば、この「腑」が感じることは、人が「安全・安心」を感じる時のサインになる、と言います。ところが、発達トラウマ障害の人は、この「腑」が感じることが上手く出来ない、という訳ですね。発達トラウマ障害の人は、「安全・安心」のためになくてはならない「腑」で感じることを、不快に感じてしまうからです。ですから、「腑」で感じることを遮断してしまうか、もしくは、それを感じるとパニック発作を起こす、と言います。発達トラウマ障害の人は、本当に危険なものを見分けることができない状態になっている訳です。

 エリクソンのライフ・サイクルから言っても、発達トラウマ障害(DTD)の人は、最初の発達危機の信頼で、躓いていますから、「腑」で感じることが出来なくて、当たり前ですが、自分の感じを遮断したり、あるいは、自分の感じにパニックになっているのが、発達トラウマの人だ、と知ってることは、支援する者には大事な視点です。発達トラウマの人は、心身症、身体表現性障害になることが多いということも、知ってると良いですね。

 

 

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