加藤周一さんが、「熱烈な愛国者の多くは、隣人を愛せないから、その代わりに国を愛するのである」と言ったことがあります。やっぱり頭脳明晰な人の言葉は見事ですね。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちの言動を見ると、まさにこれですよね。
私は、今晩は、加藤周一さんの、この言葉をヒントに、日本人の日々の生活を考えます。この言葉に擬えて申し上げれば、次のようになります。
「日本人の多くは、日々の生活を充実させることができないから、その代わりに、イベントを盛り上げようにするのである」
学校の運動会で、高さ7メートルにもなる10段組み体操をして、毎年けが人を出してるそうですね。今年の運動会でもまた、骨折者を出した中学の校長が、「完成したときの喜びは、代えがたいものがありました。そこで、怪我に対する認識が甘くなっていたと反省しています」と、臆面もなく言ってましたね。この校長に呆れましたね。毎年けが人を出しても、10段組み体操をやる意味って、何でしょうか? 「何にも代えがたい喜び」って本当なのかなぁ?
昔、中学生の母親の心理面接をしていた時に、次のような話をしてくれたことを印象深く覚えていて、時々人にも話しています。そのお話は、おおよそ次のようなものでしたね。
その日は朝から、子どもをディズニーランドに連れて行ったそうです。お休みの日のディズニーランドですから、きっと混んでいたはずです。ですから、お母さんも気合を入れてディズニーランドに子どもを連れて行ったようです。人気のアトラクションでは、何時間も並んで、いくつかのアトラクションを楽しんだのでしょう。首都高も、中央道も、混んでましたでしょうね。やっと夕方、自宅にたどり着いて、ホッと一息。それで夕食まで時間があったのかもしれません。天気もきっと良かったんでしょう。自宅前の道で、「バトミントンをやろう」ということになって、親子がひと時、バトミントンのやり取りを楽しんだ。夜、子どもに「今日一番楽しかったことは?」と訊いたそうです。するとその中学生は何と答えたと思いますか。「夕方バトミントンをしたこと」と答えたそうですよ。そのお母さんは「せっかく苦労して、ディズニーランドに連れてったのに、…」と言ったことは、もちろんですね。
この2つのエヒソードから、私どもは何を考えますか?
学校でも、家庭でも、大人はとっても忙しい。子どもときちんと向き合って、心と心を響かせ合うような時間を持つことをしてない。ですから、私に言わせれば、毎日の生活ではできないことを、半ば無意識的に、「罪滅ぼし的に」イベントでやろう、ということになりやすい。ですから、イベントはできるだけ盛り上げよう、ということになりがちだ、ということです。
10段組み体操も、ディズニーランドも、それは日常生活が貧困だ、ということのシンボルだと、私は考えますね。ですから、先の文章は、次にようになります。
「日本人の多くは、日々の関わりが貧困だから、その代わりに、イベントを盛り上げようとするのである」
残念ですね。
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