なんで日本は、こんなになってしまったのかな?とつくづく思います。今の日本が、母親から大事にされる幸せがとっても足りなくなったのは、何時ごろからなんでしょうか? 私の立場から申し上げれば、神様と人の関係に最も近いのが、お母さんとその赤ちゃんの関係です。おかあさんから大事にされる幸せ≒神様から大事にされる幸せ なんですよね。日本語で、刑事コロンボではないですが(世代が反映されますが、BSで再放送されているので、いま時でもある?)、お母さんのことを、旦那さんが「うちのかみさんが…」というのは、ほとんど「うちの神様が…」と言うに等しいんですね?
p39後半の段落。
お父さんとの関係は(お母さんのと関係とは)全く異なるものです。お母さんは、私どもがいつでも帰れる故郷です。お母さんは大自然であり、大地であり、大海原なんですね。しかし、お父さんは、このような自然な故郷を示すのではありません。お父さんは、赤ちゃんが一歳になるまであまり関わりません。この一年目の赤ちゃんにとって、お父さんの重要性は、お母さんの重要性に比べる由のものはありません。しかし、お父さんが自然の世界を示すのではなく、お父さんは人間が≪いまここ≫に生きていることの対極を示すんです。すなわち、ものの考え方の世界であり、人間が生み出したものの世界、立法と秩序の世界、規律の世界、人生行路と冒険の世界を示すんです。お父さんは、その子どもに、人生を教える人であり、この世の中を生き抜く道を示す人なんですね。
母親から大事にされる幸せが足りない、と冒頭で申し上げました。しかし、足りないのは、母親から大事にされる幸せだけじゃなかったですね、今の日本は。それに勝るとも劣らないくらい足りないのは、父親からこの世を生き抜く道を教えてもらう幸せでした。 ヴィジョンですよ。私は、今の日本がこれだけ愛着障害が多いのは、母親から大事にされる幸せが足りない、だけじゃなくて、父親からヴィジョンを教えられる幸せが足りない、からだと確信します。
母親から大事にされる幸せ + 父親からヴィジョンを示される幸せ
=子どもがピチピチ、きらきら、毎日を生きる
なんですから。
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