エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

物を書くのも「無」の境地?

2016-03-12 04:16:56 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
叡智の源
  闇から闇へと渡る渡を見たら、どんなに感動することでしょう。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p93の下から3行目途中から...
 

 

 自分の気持ちや思いを文字にする、たとえば、日記や夢日記をつける、ということは、自己発見の最も確かな道だと、私は考えますね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.240の、ブランク後の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 社会の一員として、日々のやり取りで「かっこいい」と思われていますから、自分の気持ちを、眼の前の仕事に隠します。私どもは、自分に心を許していないような人に話をする時には、私どもの人間観察眼が警戒警報を出しますから、ガードを固めますよね。手紙を書くのは違います。もしも、担当編集者に「ちょっと、1人にして貰えませんか」と尋ねれば、「あぁ、まだアイデアがないんだな」と分かりますでしょ。皆さんも自由に一種のトランス状態になれますから、その時には、ペンかキーボードが、内から湧き上がるものなら何にでも繋がった感じになりますよね。皆さんも、このような自己観察と、皆さんの物語の脳とを、感じたものが何なのか、なんて心配せずに、結びつけることが出来ますね。

 

 

 

 

 

 仏教的に言えば、あるいは、老荘思想で言えば、「無」の境地こそ、トランス状態なんでしょうね。その時には、自分の内側、≪本当の自分≫を一番感じることが出来ますでしょうね。内省の最も深いものです。瞑想、座禅、お祈り、接心…いろんなやり方があるのでしょうけれども、物を書く、日記を付けるのも、内省法の一種です。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 年寄りは子どもと一緒 社会... | トップ | 深い悦び »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿