聖書の言葉: ἐγγίζω 近づく 「神の国」の真実と,その跳びあがるほどの悦び年寄りの愉しみ 人生の巡り合わせの不思議 待ち望みと不思議 満月の夜も、不思議を感じ、不思議に想いを馳せる時。 The Sense o......
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Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,p.56の第2パラグラフからです。
#遊びの目的 #心から自由になるため #歯車 #物語にまとめる
の続き。2訂版。
1つの根源的で,心からの自由にぼぼ等しい「自分から歩み寄ること」は,自分から関わり出す関わりをイキイキ,晴れ晴れしたものにしてくれます。そんな「自分から歩み寄ること」は,「陽気で楽しくしている」ことでもありますでしょ。「自分から歩み寄ること」は成長している子どもが時空の中で確かに生きていることに属することですね。それに,真実には,ラテン語のaggredereは,まず第一に,物や人に「歩み寄る」ことを意味しますから,陽気で楽しい気分でお互いに認め合うことになるかもしれないし,相手が目的からも気持ちの上からも反対できないまま,相手の人のゆとりを邪魔することになるかもしれません。私が「自分から歩み寄る」ことは,「心から自由であることも同然」と呼んだのは,人間の中では,お互いに触れ合うことが,すぐに不満と激怒を感じる経験にも,恥と自分が悪いと思う経験にもなるからです。というのも,個人が成長し発達するためには,ゆとりが必要なのに,最初から、それぞれの文化の場にある人生の習慣を、自分の行動に取り入れたり,自分の良心に当てはめたりすることによって,自分のad-gression,つなわち,自分が物や人に歩み寄ることを,制限するようにならなくてはならないのも,人間の実存の根源的な事実だからです。この人生の習慣は,動物が自然の一部を本能に埋め込まれたいるのとは異なり,やり取りのルールと世の中を見る見方とを子ども等にプレゼントしなくてはなりません。この世の中を見る見方は,ゆとりを約束するだけではなくて,ゆとりを破る者を罰することもあります。
エリクソン心理学は,やり取りのルールと世の中を見る見方が寛容な人生の習慣を要請します。
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