発達トラウマは、元通りにはできない1人では無理な、自分を確かにする道 カテドラルも、儀式も、もともとは神聖な意味がありました。 Young Man Luther 『青年ルター』......
今宵の聖書の言葉,イエスの言葉です。
イエスの言葉の力を示すところはたくさんあるのですが,その一つが,『新約聖書』の最初の出てくる「マタイによる福音書」の第5章16節です。
「16夕になったので彼のところに悪霊つきが大勢連れて来られた。そこで彼は諸霊をことばで追い出し、すべて病むものをいやされた。」
実際,4節にあるみたいに,
「3そこでイエスは手をのばして彼にさわっていわれる、「よろしいとも、清くおなり」と。たちまちらい病は清くなった。」
イエスの言葉には,出来事を生み出す力がありますね。それは,ヘブライ語のダーヴァルが,言葉と出来事の両方の意味があることからも解かりますね。
イエスの言葉は,特別なのかもしれません。しかし,子どもと関わる全ての人たち,親,保育士,教員,学童保育のスタッフ,サイコセラピスト…は,その言葉が出来事になるような関わりが,必要です。言葉が出来事になるような関わりから得た信頼を基に,子どもが発達し,癒される(その子らしくなる)ことができるからです。
その意味では,イエスの言葉は,私どもが言葉を語る時のひな形を,言葉を,出来事を生み出す基にしながら正直で,子どもとの関係に誠実な生き方,のひな形を示している,と言えそうですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます