本当に正しいことは、良い方も控えめになりやすいから、意識しないと聞き逃しちゃうものです。本当に正しいことは、はじめは、囁きだからです。
Young Man Luther 『青年ルター』p.234の第3パラグラフから。
一方で、ルターの人格と田舎暮らしの展開、他方で、世間の社会的な混乱、反抗、進歩は、世間知らずの熱心さ、無意識の皮肉、それに、正義のお面を被った恐怖が一緒になって、バーナード・ショーのドラマみたいになってきました。ヴィッテンベルグのアウグスティヌス修道会は、修道士らは立ち去ったので、ザクセン選帝侯がルター専用にしました。ルターは結婚した後で、以前は修道女であった妻と子どもと一緒に、その修道会を使っていたのですが、皮肉なことに、それが最初のルーテル派の人々の建物になったわけですね。それで、ルターは落ち着こうとした矢先に、ルターが(カトリックに反対して)謳っていた革命詩が、自分に向けて跳ね返ってきました。
歴史の皮肉とはこのことでしょう。最初は自分は告発する者、抵抗するものとして立ったのに、気付けば、告発されるもの、抵抗されるものに変わってしまったのですから。
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