自分が怖い存在になるのは、自分が怖い思いをした時の不安や恐怖心への対処法の1つだ、ということを知っていることは、子どもを相手にする人にとっても、大事ですね。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p84の第2パラグラフです。
アンナ・フロイトは、とある学校での観察について報告しています。その報告では、近代性を追い求めて、学校でのいろんな在り方が、新たな礼拝、すなわち、新たなやり取りに変わりました。それは、「クラスでの一斉授業よりも、子どもが自分で選んだ学びを大事にする、ということです」(1936, p.95)。すぐに、怖がったり、縮こまるような、新しくて範囲が決まった防衛的な行動が、それまでは、出来がよくて、評判も良かった子どもたちに現われたのでした。こういった子どもたちの適応そのものが、求められることが変わったために、危機にさらされたわけですね。アンナ・フロイトによれば、こういった、人々に共通する防衛機制は、ひとりびとりの子どもがしでかしたことでしたが、学校がこの気まぐれな礼拝、すなわち、気まぐれなやり取りを止めたら、すぐに解消してしまいました。しかし、このようなひとりびとりに共通する、対人関係に関する防衛機制をどのように考えたらいいのでしょうか? こういったひとりびとりに共通する防衛機制は、長い目で見れば、習慣的になりますし、そうなれば、人格や仕事、それから、集団生活の中の人品までが、限りなく変わってしまうのですからね。
防衛機制の基本は、ひとりびとりがやることなのに、ひとりびとりに共通します。考えてみれば不思議です。人間の心は眼には見えないけれども、手や足のように、同じ形をしているからではないですか?
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