いまではどなたでも知っているアンパンマンの原作者。
1919年2月6日、大正8年、高知県香美郡香北町在所村出身、一年半前の2013年10月13日に94才で亡くなりました。5才で父親が病気で亡くなり、小学校2年の時に母親が再婚して、弟が先に養子に出ていた、内科と小児科の医院をしていた伯父さんの家に引き取られ、育てられた、といいます。父親の柳瀬清さんは、上海の東亜同文書院に留学し、やなせさんが生まれたころには朝日新聞の記者をしていたと言いますから、かなり優雅な暮らしができたようですが(家には蓄音器があったらしい)、伯父さんの家(医者ですから、やはり当時としては優雅な暮らしもできたはず)に行ってからは、遠慮があったらしい。弟はその後、京都帝国大学の法学部に入ったそうですが、戦争で殺されてしまいます。やなせさんは、容貌にコンプレックスがあったそうですが、弟はハンサムで頭も飛び抜けて良かったと言います。やなせたかしさんは、中国戦線で、比較的戦闘の少ない部隊にいて、上海で終戦を迎えたそうですね。何故、ハンサムで優秀な弟が死んで、容貌も頭も今一つの自分が生き残ったのか、と感じたと言います。やなせたかしさんもサバイバー・コンプレックスです。
しかし、やなせさん自身は、太平洋戦争では、あまり戦闘はなかったものの、食料が不足して、飢えていることが多かったとか。やなせさんNHKの「100年インタビュー」では、「腹が減るのだけは、我慢できなかった」と語っていました。また、自分たちは「大東亜共栄圏」建設という「正義」のために戦っているつもりでいたのに、敗戦となれば「自分達が悪者になっちゃった」ことから、「正義」はひっくり返ることが多いことと、飢えている人に食べ物をあげることは「ひっくり返らない正義」であることを学んだと言います。
ご承知のように、アンパンマンがヒットしたのは、やなせたかしさんが70才を過ぎてから。大変な遅咲きです。それまで長い下積み時代。いろんなことを仕事にしたそうです。要するに何でも屋。なかでも、『詩とメルヘン』からは、葉祥明さんなどのファンタジー作家が出ていますから、非常にいい仕事をしている感じです。70才でアンパンマンがブレークして、その25年後に亡くなった、いうことになりますね。
やなせさんは、難しいことは言わない。だけれども、やなせさんが語ることは、実体験に基づいているからでしょう、説得力がありますよね。私が最も惹かれるのは、「絶望の隣は希望です」ということと、「正義の味方はカッコよくない、傷つくことを覚悟する」という2点ですね。非常に深い人生哲学ですね。しかも、ヒューマン。そして、この人には、不思議に突き抜けた悦びを感じますね。
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