Young Man Luther 『青年ルター』p195の「3」から。
3
マルティンがローマから戻ってから、ヴィッテンベルグ修道院に移って、そこに終生とどることになります。マルティンは、エアフルトのアウグスティヌス会から追い出されたという人もいますし、シユタウピッツの影響からヴィッテンブルグ修道会に惹かれたという者もいます。友達のヨハン・ラングもヴィッテンブルグに出たことも、あるいは関係しているのかもしれません。それから数年後、教会管区全体に対してルターの影響力が大きかったので、ラングをエアフルトに戻して修道院の次長になるように指名することもできました。
マルティン・ルターはヴィッテンベルグに出て成功でした。その背景は、様々に憶測されているようですが、ルターが積極的にそこに行ったのでは必ずしもない、のですが、これがルターの運命を変える転機になったのは、まことに不思議なことですね。
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