排他率が、近代に生み出したもの。スピノザ哲学、マルクス経済学、フロイト精神分析です。
p73第2パラグラフ。
矛盾律の観点から申し上げれば、強調点は思想にあるのではなくて、行為にあります。この態度かせ、いつくかの他の結果も生じてきます。なかでも、「忍耐」が生じますが、これは、インドの宗教や中国の宗教が発達する中にあります。正しい考えが究極的な真理でも、救いの道でもないとなれば、他者とぶつかり合う理由もなくなりますし、その考えはそれぞれ別々に定式化されます。この忍耐は、何人かの人物の物語にうまく表現されています。その人たちは、闇の中で一頭の像を描くように頼まれます。1人は、自分の胴体に触れて、「この動物は、水道管の如し」と言います。もう一人は、自分の耳に触れて、「この動物は、団扇の如し」と言います。三人目は、自分の両足に触れて、この動物を、まるで柱のように描きます。
矛盾律から忍耐が生まれると言います。でもその忍耐にもいろいろあるのでしょう。
忍耐と言って思い出すのは、やはり、天才シモーヌ・ヴェイユですね。忍耐、ヒュポメノーが、シモーヌ・ヴェイユのキーワード、最も好む言葉だからです。
彼女の短い一生は、まさにこの言葉「ヒュポメノー」(忍耐)の体現にあった、と言えるだろうと思います。つまり、「ヒュポメノー」(忍耐)という≪話し言葉≫を、彼女の人生において、≪出来事≫にして見せたのでした。それはすさまじくも、気高き人生だと言えることです。
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