#ララランド #滅び と #光がある方に振り返ること #神様の約束 #脆いあの≪私≫ #ピッタリな2人現世考: 友田明美さん「視点・論点」に呆れる 自分を確かにできないニッポン人 見通す力=信頼する力 三浦雄一郎さん。昨年の5月に80才でエベレスト......
「発達トラウマ障害」Enpedia と
発達トラウマ障害を英語で・英訳 ‐ 英和辞典・和英辞典 Weblio辞典
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今宵は, Young Man Luther『青年のころの ルター』 少し飛んで, P.212,6行目途中から,もう一本。
ルターはその(訳注:従来の教義に知的にぶら下がり,敬虔ぶる日曜礼拝クリスチャンの)代わりに,かつての上司たちがルターの悪いところだとみなしていたこと(私たちがルターの病状だとみなしていることです)を一つの強みにしたんです。つまり,自分が一番ダメダァと思っていたどん底を決心して善く見たんです。このようにゴミ箱の中から宝探しをすることによってのみ,聖書の神様が創造の時に「とてもよかった」と言った通りに,ルターも自分を「とてもよかった」と言うことができるのです。どなたでも,聖書の神様が「とてもよかった」と言うとおりに自分も自分を「とてもよかった」と言える,この一体感は,聖書の神様の審判の(訳注:心から優しい顔)前で,徹底して自分を空っぽにすることだとみなすことができますし,徹底して自分を空っぽにすること一つ一つが,自分から始める自分自身の毎日礼拝にもなります。この毎日礼拝こそは,ダメダァと思いがちな良心ができる時の(訳注:聖書の神様の心から優しい)顔を善く見ることになります。
大沢真幸さんが言う「第三者の審級」です。聖書の神様の審判も「第三者の審級」になります。倫理や規範の妥当性,納得感は,自他を超越した視点である「第三者の審級」があって初めて,みんなが納得したものになります。
その「第三の審級」が良い知らせなら,それは至上の歓びであり,自他を認める善い良心になるに決まっています。
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