シャワーとフラッシュ それから、直感の芳香 改訂版「光の子どもの家」の教育方針 児童養護施設「光の子どもの家」理事長 菅原哲夫さんのインタヴュー、先日このブログでも取り上げましたから、覚えておら......
「エリクソンの小部屋」ですから、このブログの読者の皆さんも、エリクソンの言葉、エリクソンの叡智の人気が高いみたいです。
今朝は、Young man Luther 『青年ルター』p.69-70.から。
子どもに押し付けるようなやり方、すなわち、大人が、上に立ったり、屁理屈を言ったり、物やご褒美で釣ったりするやり方をしてれば、大人が大人になる必要がなくってしまいます。そういう大人は、あの、本物の心の気高さを育てる必要がなくなりますよね。そういう気高さが大人の方にあれば、子どももその人の話を聴く気になるのにね。そういう大人は、気高さを育む代わりに、エバッタ態度で、「言ってること」と「やってること」を違えたり、勝手気ままなことをしたりします。要は、そういう大人は、子どもっぽい。子ども打つことで、子どもに大人の願望を押し付けるんですね。そうされた子どもは、大人が怖いから、大人が見ている時には、見てない時よりも、「良い子」のフリをするようになりますから、自分のことは棚に上げて、人には「正しいこと」を強制する、ケダモノの様な力を発揮するのを期待されていることになりますね。
親の中にも、教員の中にも、よく見かける人たちです。エリクソンも同じ気もちだったんですね。そういう大人は、謙遜なフリをしていても、エバッタ感じと子どもっぽい感じが、必ず同居しています。傲慢で身勝手。
そういう大人に育てられたら、子どもは大人を怖がりますよ。基督教独立学園の元校長の安積力也さんが、「親、大人を怖がる子ども」について、今年の初夏の「こころの時代」で触れていましたでしょ。「親や大人を怖がる子ども」がとても多いんです。発達トラウマ障害(DTD)の子どもが多いからです。
安積力也さんや、金森俊朗さんや、エリクソンのように、子どもの言葉にならない言葉に真実に心を傾ける大人が、1人必ず必要です。
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