自分の感じも、過ぎたるは猶及ばざるが如し?
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.109からです。
自分の感じをきちんとした形で出せないし、出してもダメな感じ vs 自分の感じをきちんとした形にして出しても良い感じ : 人とやり取りする力があると同時に、物事に対処できる力がある感じ
勤勉であることと、人とやり取りする力があると同時に、物事に対処できる力がある感じは、競争社会の中で、すなわち、自由意思の国、創意工夫の家で、知ることが出来る素質の全てです。
一人静かに、ものをコツコツ作ることも、勤勉ですね。でもね、エリクソンが勤勉と言った場合は、一人静かにコツコツ何かをしているだけじゃぁ、勤勉=生産的とは言いません。人間にとって、やり取りすることが、最も大事なことだ、とエリクソンは感じていたからですね。ヴァン・デ・コーク教授の翻訳で、十分に話し合うこと、相手を対等に大事な存在として、お互いに認め合うこと、気持ちをやり取りすることの3つが同じことと申し上げたことは、エリクソンが、ハッキリと、あるいは、それとなく、いつも、言っていることなんですね。
お役所仕事ですと、ルール通りが勤勉ですけれども、お役所仕事=役立たず、あるいは、お役所仕事=人権侵害 という場合が結構ありますでしょ。これは、そのルールの目的とのやり取り、市民、それも弱い立場の市民(子ども等など)とのやり取が欠けているからです。
やり取り、大事でしょ。
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