誰にも頼らないやり方で自分を確かにする生き方人間には、自由に振る舞える、その自由が何よりも大事なんですね。自由=人間。自由でないものは、すでに人間であることを止めた証拠になります。 Young Ma...
十分に話し合うこと、相手を対等に大事な存在として、お互いに認め合うこと、気持ちをやり取りすること、の3つは、パラパラなことじゃぁなくて、3つとも全て同じことなんですよ。それがトラウマ治療のエッセンスですね。それを壊すのは、ナチスと一緒で、人類に対する犯罪です。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.237の、ブランクから。
自分自身を知ること、あるいは、自分の物語を語ること 私どもが気付きを与えられる2つやり方
どなたでも、対話セラピーをする人は、ほぼすぐに言葉の限界に直面します。これは私自身の精神分析にも当てはまります。私が気安く話しをしたり、面白い話が出来ている間は、自分の気持ちを深く感じると同時に、その深い気持ちをほかの人に伝えることはいかに難しいことなのかが、すぐに分かります。人生で、一番個人的で、一番辛くて、一番混乱している時のことに触れようとすれば、1つの選択をしなくちゃならないことに気付くことがよくありますね。私は心の眼のなかで、昔のいろんな光景を生きなおすことに集中したり、当時感じていたことを感じ直すこともこともできますし、あるいはまた、以前にあったことを筋道立てて理路整然と、分析家に話すこともできます。後者を選んだ場合、すぐに自分自身に触れることが出来なくなっちゃいますし、自分について語ることについての自分の意見に焦点を当てることになっちゃいます。少しでも疑いや分別くささがあったら、本音の自分を締め出すことになりますもんですよね。ですから、本当の自分が再び手に入れることに注意が移っちゃいますもんです。
≪本当の自分≫とは、科学的真理というよりも、人格的真理なのでしょう。ですから、知的に理解したり、伝えようとした瞬間、≪本当の自分≫からズレてしまいます。
≪本当の自分≫は、光のように、音のように、声みたいに、閃きみたいに感じるものですね。
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