ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction、p.136.
イエスは、コンパッションに動かされて、息子を亡くした母親の痛みを腹に感じたんですね。イエスは魂深く感じたからこそ、その母親の死んでいた息子さんは生き返りました。同様に、苦しんでいる人の気持ちになるコンパッションに動かされる人は、神様が、助けが必要な人たちと共に今苦しみ、その仲間になっていることを、自らも体験していることになりますね。神様のお名前はインマニュエルですが、それは「神さまは私どもと共にまします」という意味でしたよね。
相手の痛みを、腹から共に感じると、相手の人の気持ちが楽になります。さっき、本田哲郎神父様がおっしゃられたことです。しかし、どうやらそれだけではないようですね。
相手の痛みを腹から感じると、相手の人は、自分の足で再び立ち上がることもできるらしい。それは、「死んでいたのに、生き返った」ということの意味するところではないですか?
人のことを悪く言う人とは、正反対の生き方ですね。
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