つい先日、愛着障害の子どもに対するセラピーは、これだ!で、ルース・ラニウスさん等の『心に傷を負わされた子どもを癒す』(2015)から、p278の図表の解説部分を翻訳して載せましたでしょ。ちょっと具体性が分からない部分がありましたね。なんせ、まだ全部読んでませんからね。300ページ以上の大著ですから、二三日で読める訳ないですもんね。それでも、昨日は事務所勤務でしたので、2時間ほど、この本を読む時間にあてることができました。
そして、時間について、心の傷のために、苦しくて嫌な感じがすることについて、少しわかりましたので、お伝えしますね。
私たちは、いつでもどこでも、≪いまここ≫にいますね。でも、いつでもどこでも、≪いまここ≫を生きられる訳じゃぁないんですね。心の傷が深いと、フラッシュバックを起こします。また、それほどでなくても、未解決の辛い体験があると、それとは分からぬまま、知らず知らずに囚われる、ということが、非常によくあることなんですね。フラッシュバックと言ったら、そんなに多くの人が体験することではありません。でもね、後段の、「未解決の辛い体験があると、それとは分からぬまま、知らず知らずに囚われる、ということ」を、全ての人が無意識裡に体験している、と言っても少しも過言ではありません。えっ、手思うでしょ。真実は得ていて、「えっ〔(ホント?)or(ケイカラン)〕」、がつきものです。ガリレオ、杉原千畝さんのことを考えればわかるでしょ。
そうすると、≪いまここ≫を生きるどころではなくて、自分でコントロールができない、無意識の圧倒的な力に流されて、過去の辛い体験にべったりとくっついている驚き、衝撃、激しい怒り、殺したいくらいの憎しみなどが、≪いまここ≫にドッと出てきてしまいます。そうしたら、≪いまここ≫を共にしている人たちには、たまんないですよ。急に動揺されたり、急に怒鳴られたり、打たれたり…。
ですから、その辛い体験を過去に≪あそこ≫であったこととして、心に収めなくちゃならないでしょ。それは、その辛い体験を、しっかり見つめること、「あきらめる」こと、凝視すること、ふつうは一人ではできませんから、心理療法を受けたり、お祈りをするんですね。
ティク・ナット・ハーンさんのマインドフルネスのもとになった言葉ね、バーリ語でsati、英語のsit(座る、腰かける)と同根の言葉のはずです。その意味は、「心に留めておくこと」、あるいは、「心に留めておくための注意力」の意味だそうですね。同じことです。
ですから、あなたも、どなたか大事な方と、自分のお「辛い体験」を「共に見る」ことを通して、≪いまここ≫を生きてくださいね。
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