エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「怒り+不安」の風

2015-06-06 08:32:12 | エリクソンの発達臨床心理

 

 やり取りができない人、それはプライベートな人、すなわち、それは、「何かか奪われている」、「何かが足りない」人なんですね。ピーンときますもんね。そういう人を前にするとね。大体、「怒り+不安」の風が吹いてますからね。愛着障害の子どもと同じです。教員でも、結構高い確率でいますよ。正確には、「教員(ヒューマンサービス)だから」ですけどね。

 悪い良心、恐るべしですね。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p45の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私がいまここで認めなくてはならないのは、「リチュアリゼーション やり取りのある関係」と 「リチュアリズム、形ばかりの(お役所仕事の)関係」、という言葉を、こういった現象に当てはめることは、実際には、日々のリチュアリゼーション、すなわち、「毎日の礼拝」と、その毎日の礼拝が行われている文化の中にある、荘厳な文化的儀式(訳注 カテドラルなどでのクリスマス礼拝、長野善光寺の御開帳など)とに相当しています。私が以前にそれとなく示したことですが、お母さんと赤ちゃんがお互いに価値ある存在と認め合うことは、生涯を通して、1番ありがたい出会いのモデルになっているかもしれないのです。

 

 

 

 

 

 お母さんと赤ちゃんが、お互いに宝物と認め合うことは、毎日の礼拝そのものですね。それは、ルターの回心と同様の、神様と出会うことと同じです。それがエリクソンが言う「リチュアリゼーション、やり取りのある関係」です。ここでは、心からの悦び、あの子のような、キラキラした瞳がありますから、すぐにそれと分かります。

 それに対して、形ばかりの、すなわち、中身のない、お役所仕事の関係が、荘厳な文化的儀式に、入り込みやすい。形が立派過ぎると、中身がなくても、人はやれちゃうもんだからです。でもこれは、文化的に荘厳な儀式だけとは限りません。私の周りには結構お役人がいるんですね。そういう人たちは、心からの悦びの代わりに、特徴的な嘲りがありますし、キラキラとした瞳の代わりに、堅苦しい眉間のシワ、がありますから、それとすぐに分かります。

 あなたはどちらを選びたいのかなぁ?

 

 

 

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