「発達トラウマ障害 Enpedia」 をご参照ください。
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。
p.111のブランク下のパラグラフの,下から2行目から。
今朝は、最後目のパラグラフの冒頭から。
母親が不在な男
…ウィニコットらは,それぞれが自分のやり方で,赤ちゃんの頃にお母さんと体験したことが,後々ほかの人に自分が関わる関わり方の雛形に,どのようにしてなるか と 本来の自己と一番仲良しな私を生きる心の習慣が,刻一刻のお母さんとのやり取りの中でいかに創造されるのか を,研究しました。
科学者たちは自分を一番悩ましたことを研究しますから,他の人たちが当たり前と思っていることに違和感を感じて,体得底で身に着けた専門家になっている場合がほとんどです(あるいは、アタッチメント研究者のベアトリス・べーぺが教えてくれたことは、「最高の研究は自分(当事者)研究です」ということです)。ウィニコット達男らは,子ども等の暮らしの中で果たす母親の役割について研究した男たちですが,自分たち自身が,傷つきやすい時期,だいたい6歳から10歳頃に,寄宿舎に遣られましたが,それは,一人前になるずっと前でしたね。ボールビー自身が私に教えてくれたことは,寄宿舎生活だけでも,ジョージ・オーウェルの小説「1984年」を思いつかる、というのです。この小説は,人間が、自分が大切にしてもらいたいばかりに、支配する力のある立場の人から誉めてもらいたいばっかりに,自分が大切で真実だと思う全てを,いとも簡単に犠牲にしてしまいたくなるのを見事に描いています。その犠牲にしてしまうものの中には,生きている実感,本当の自分を生かす心の習慣も含まれます。
ボールビーは,マレー(訳注: ヘンリー・アレクサンダー・マレー?)家の人たちと仲が良かったものですから,ボールビーがハーバード大学に来るたびに,私もボールビーと彼の研究について話をする機会に恵まれました。ボールビーは,貴族の生まれで(ボールビーのお父さんは,イギリス王家の掛かり付けの外科医でした),心理学,医学,精神分析を,イギリス国教会の教会で修めました。
やはり,本物になるには,道があります。
逆境の中に「大切な真実」が封印され,その「大切な真実」の「破壊的な発見」が世の中を席巻するのです。
今から楽しみですね。
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