≪私≫は母親の中にある≪あなた≫と、自分自身の中にある≪あなた≫≒セルフとの対話の中に発達します。
p331の冒頭から。
いまや、すべての人称代名詞のリストを一瞥すれば、すべての発達プログラムが順序通りに明らかになります。というのも、≪私≫と≪あなた≫は、最初の二項関係を創り出すけれども、その二項関係は、すぐに、たくさんな三項関係に変わります。その時、一連の≪彼≫か≪彼女≫(実際は、≪それ≫の世界)が、いろんな意味でプラスの遊び相手になります。父親のような三項関係もあれば、兄弟のような三項関係もあり、姉妹のような三項関係もあるし、他の三項関係もある。三項関係が生じると、複数の概念の≪私たち≫、≪あなたたち≫、≪彼ら、彼女ら、それら≫が、言葉の上でも必要になりますし、大切な情緒的な意味を持つものにもなります。このようにして、代名詞の順序は、≪私≫と≪あなた≫から始まって、舞台で展開すべく基本計画に組み込まれています。それで、その人称代名詞の一つ一つは、いったん覚えてしまえば、幅広い経験を表現するのに役立つことがお判りでしょう。それは、その幅広い経験は、あらゆる舞台で、新しい遊び相手を含みます。たとえば、特に家長的で一神教の体系では、≪私≫という感じの最初の形を、最初の母親との源の関係から、強烈な父性との関係へと、しまいには、神様との関係へと変える必要があることを取り上げましょう。あるいは、思春期の危機を、子どものころにできた、自分を確かにする道の要素を組み替えることと考えたり、青年期を、社会の中で自分の心を確かにする道を見つける、創造的な世界と考えましょう。あるいは、また、いかにしたら、元の家族(我が家)で身についた≪私たち≫という感じが、自分が嫁いだ家族や地域へと広がるのか、自分自身の家族へと広がるのか、そこで、人は、自分自身の≪私≫という感じを抱いた、真新しい存在を生み出すことに役立つはずです。
≪私≫という感じが、いかにしたら、確かなものになるのか、そして、真新しい≪私≫に発達するのか? エリクソンの記述は実に見事ですね。最初の母親との関係は、発達の中で、父親との関係を経て、神様との関係になる。思春期も青年期も≪私≫という感じの発達との関係の中で位置づけられる。そして、≪私≫という感じが、どのようにしたら、真新しい生き方をするものと結びついていくのか?
いずれも非常に重要な場面です。
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