今宵のエリクソンも、Insight and responsibility p.231。タイトルは、『本物の課題を見抜く眼と、本物の課題に応え続ける態度』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。さらに、やり取りの大切さがわかる、感じが続きます。
私は、やり取りこそ、2人の人がお互いにそれぞれの人生の舞台で身に着けるべき人間力、人品を育て合う関係だと申し上げたいのです。
このブログの熱心の読者であれば、エリクソンは人生を8つの舞台(人生劇場の八つの舞台? 早稲田大学の影響?、冗談ですよ)があり、それぞれに危機があると言っていることをご存知ですよね。その危機を一つ一つ乗り越える度に、人間力 、人品 すなわち、virtueを身に着けることができる、という訳ですね。
例えば、赤ちゃんの時期の危機とは、根源的信頼感と根源的不信感のいずれの割合が大きくなるのか、その危機にあるのが赤ちゃんだという訳ですが、幸いにして、根源的信頼感の割合が多くなれば、hope 「困難があっても、希望を抱きつづけることができる力、陽気な勇気」という人間力、人品を身に着けることができます。逆に、根源的不信感の割合が優れば、その赤ちゃんは、発達トラウマ障害(DTD)になってしまい、あらゆる発達に、恐らく取り返しがつかないだろう、遅れと偏りが生じてしまいます。
その相手になるのが、母親ですから、人生の舞台は、成人期。成人期の危機は、「次世代を育む」のか、それとも、「自分のことしか考えない」のかでの危機す(心と心が響き合わないと、心は育ちませんよ。、それまでの人生が問われる「大人の時代」)。幸いにして「次世代を育む」割合が豊かになれば、care、すなわち、「困難があっても、弱い立場の人を大事にする力、陽気な勇気」という人間力、人品を身に着けることができます。残念ながら、「自分のことしか考えない」割合が大きくなると、仕事や会社を口実や大義名分にして、口ではエラそうなことをいっても、現実には子どもっぽい感じの中年になります。
今宵のエリクソンが教えてくれているのは、赤ちゃんが根源的信頼感を育てることができて、hope 「困難があっても、希望を抱きつづけることができる力、陽気な勇気」という人間力、人品を身に着けることができるのは、お母さんが、「次世代を育む」ことを豊かに出来て、care、すなわち、「困難があっても、弱い立場の人を大事にする力、陽気な勇気」という人間力、人品を身に着けることができる場合だけだ、ということです。
その2人を繋ぐのが、やり取り、陽気で楽しい関わりです。
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