エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

聖書の言葉: 気付いていきなさい νήφωμεν

2017-01-25 03:00:59 | 聖書の言葉から

 

 

 
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 お酒の好きな方、今宵の晩酌はお済ですか? 逆に、「飲んでない」と言う方もいるかもしれません。

 聖書では、イエス・キリストが、「大食漢で大酒のみ」と呼ばれていたそうで、何か貧しい者、だらしないものの代表選手のように言われていたみたい。だけれども、
そのイエスも、パウロも、繰り返し「酔っぱらわずにいなさい」、「目を覚ましていなさい」と言っています。

 その一つが、『新約聖書』の手紙の1つ、パウロの手紙の1つに、「テサロニケの第1の手紙」があります。その第5章6節は、前田護郎先生の翻訳では次のようになっています。

6それで、他の人々のように眠らず、目を覚まして慎みましょう。

 「目を覚ます」も「慎む」も、「シラフでいましょう」と訳すことができる言葉です。この「目を覚ましていましょう」 νήφωμεν ネフォーメン が、今宵の言葉です。同じような言葉を重ねていることに、いかに「目を覚ましている」ことが大事なのか、ということに気づかされますね。

 目を覚ましている。心理的に言えば、これは、「気づいていなさい」ということだと私は考えます。それじゃぁ、何に「気づいていなさい」なのか?

 1つは、ウソと真実、フリと本気を感じ分ける、見分けている、ということですね。

 もう1つは、熱にほだされてはいけない、熱くなってはだめだ、ということです。冷静さが大事、ということ。あるいは、日々の務めを忘れないこと

 今日も、気付いて今日という日を過ごして生きたいものですね。

 

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