最近の小学生はね、ハーロー教授のサル君ソックリ! ハーロー教授に乾杯ハーロー教授の動物実験。今でしたら、おそらく動物愛護団体が抗議するでしょう。 p.228の下から2行目途中から。 &nb...
皆さんも、いろんな卒業式を経験してこられたと思います。私も、国立富士見台幼稚園から筑波大学大学院まで、7つ位の卒業式を経験してきました。でも、それはパブリックなものであっても、あくまで私的な感じの卒業式でしたね。しかし、卒業式の式辞が、新聞に載った時代があったんですね。ご存知でしょうか?
私も、オン・タイムで知ったのではなくて、ものの本で知ったわけですけれどもね。特に敗戦直後、皆が「何のために生きるのか?」ということが、近々の課題であった時代にあって、そういう人生哲学を語る、卒業式式辞が、新聞にも掲載されました。その代表選手が、敗戦後最初の東京大学総長、南原繁です。時の首相、吉田茂からは「曲学阿世」と呼ばれました(http://showa.mainichi.jp/news/1950/05/post-7820.html)が、学者としても、教育者としても、「曲学阿世」とは対極的な先生です。それは、その弟子の丸山眞男教授が指摘している通りです。
敗戦1年後の 1946年9月の卒業式の式辞が「祖国を興すもの」と題した文書になっています(立花隆編『南原繁の言葉 8月15日・憲法・学問の自由』p272-279)。そこから、言葉を2つ、皆さんとシェアしましょうね。この式辞は三部構成です。1つは一部の最後の件です、2つは、最後の言葉です。ただし、傍点``の部分は下線にしました。
「諸君はこれより活社会にいづるときに、諸君が現に知りまた想像する以上に、悪しき習慣・惰性・虚偽・情実の多くの背理・不徳・不法さえの充満せる世界を見出すであろう。だが、諸君はそのなかに溺れることなく、それぞれの持場において、出来得るかぎりこれが救済と改善に考案努力すると同時に、いつまでも純真であり、他人に信頼せられ、自ら省みて良心に恥じない行動を責任をもって遂行することを心掛けられたい。たといその間において、諸君の期待が裏切られるようなことがあろうとも、敢えて失望することなく、各自が与えられた可能の範囲において、諸君のまわりにより善き世界の建設の理想に向って努力しなければならぬ。理想はひとり青年の夢想ではなく、また、単なる抽象的観念でもなく、われわれの生涯を貫いて、いかなる日常の行蔵にも必ずや現実の力となって働くものである。
わが国有史以来の破局に臨み、朝野を挙げて一大革新の要求せられる時代において、諸君はまさにモラールとインテリジェンスの代表者として、国家社会のあらゆる部面の隅々にまで、これを浸透せしめる使命を担うものであることを銘記されんことを望む。」
「さらば卒業生諸君! いつまでも真理に対する感受性を持ち、且つ気高く善良であれ! そして常に明朗にして健康であれ!」
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