子どもの貧困 No.5 今の日本の根源的な貧困子どもの貧困。今日はその5回目。 今の日本の子どもの根源的な貧困について。 昨日のブログの最後に出てきましたでしょ。鬼ごっこで、いつまでも追いかけても...
弱い立場の人が、人間らしい暮らしをすることを支援するためには、いつでもトータルなヴィジョンが必要です。「人間を上下2つに分けるウソ」では、歯が立ちません。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.118の、第2パラグラフから。
何かが酷く間違ってますよ。我ら年寄りたちを「世間の外」の遠い施設なんぞに送り込まなくっちゃらない訳って何なのかしら? いくら、身体的な介護を受けて、安心して天寿を全うするためとは言ってもね。すべての人間は、年を取るものです。そこに酸いも甘いもあります。しかし、私どもは、どのようにして最後を迎えるのか、ということを、年寄り達からまなべるのでしょう? 私どものモデルになる人は、私たちと一緒に生きていなければ、その最後は、1人っきりで向き合わなックっちゃなりませんからね。
ジョアンも、エリックも、ブルース・ペリー教授以上に、文明批評家です。よく言われることですが、生まれる時も、死ぬ時も、人間は一人ぼっち。でも、どうすれば、良い最期を迎えられるのか? 施設を、「そと」、郊外に作って、障害者、心を病んだ人、高齢者、犯罪者などをそこに追いやる、というのは、洋の東西を問わず、近代の傾向ですが、それが果たして良かったのか?
それは、「人間を上下2つの分けるウソ」を強化しこそすれ、人間皆兄弟と言うヒューマニズムに反することだ、というのが、現代社会の反省でしょう。segregate 排除の論理は止めて、inclusive 共に暮らす、人間皆兄弟の社会を作ることが良い、自然に遠慮しながら暮らすのが良い、という、ヒューマンな、人間らしいアイデアが、徐々に光を放っていますよね。
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