ニルス・クリスティ―教授
先日テレビを見ていましたらね、懐かしい顔が出てたんですね。それは、私が大学1年生ときに、とてもお世話になった人だったからです。私は大学では、ワンダーフォーゲル部で、日本中、いろんなところに行きました。北は北海道は知床半島の付け根にある斜里岳から、南は紀伊半島の大台ケ原集周辺の沢登り、そして、関釜フェリーで下関からプサンに渡って、韓国のチリ山とソラク山まで登りました。一部はこのブログでも書きしましたね。そのワンゲルの主将だった岡さんが、テレビでインタヴューに答えていたんです。「岡さん、出版社の社長になったんだ」と思いました。
それは、太田出版という中堅クラスの出版社です。『絶歌』という手記を出した出版社です。今から18年前の1995年、オウムが地下鉄にサリンを蒔いた事件の数か月後に、中学三年生が2人の児童を殺害し、警察とマスコミを挑発する手紙を書くなどして、世間を騒がせた酒鬼薔薇聖斗、こと、少年Aが書いた本ですね。岡さんは、先のインタヴューで、「社会的な意義を鑑みて、この本を出すことにした」と言う趣旨のことを話していましたね。私は敢えて火中の栗を拾う覚悟をしたことに、拍手を送りたい気持ちで、そのインタヴューを聴いていました。
昨日の「クローズアップ現代」を見て、この出版が遺族を「傷つけ」、出版に対する猛烈なバッシングにあっていることを知りました。解説には元NHK記者で、ノンフィクション作家の柳田邦雄さんが出演しておられました。この番組では、殺された土師(はせ)淳君の父親、土師守さんがインタヴューに応えています。そこでは、出版のことは事前には知らされておらず突然の事であったこと、被害者の人権について、考えてほしい旨の問題提起がありました。これは大事な指摘だなぁと感じました。淳君のお墓のある明石市では、「犯罪被害者支援」の条例に基づいて、この本は市立図書館にはおかないこととするほか、市内の本屋さんにも取り扱わないように依頼していると言います。
他方、映画監督で作家の森達也さんは、遺族への配慮が足りない出版であったことを認めながら、この本と出版に対するバッシングに対して違和感を表明します。森達也さんは、「知ることを拒絶することは一番の犯罪だと思います…事件が重大であればあるほど、あらゆる観点から知りたい…加害者の声にも耳を傾けるべきだと思います」と語ります。
もう1つ、森達也さんは大事な視点を提供してくれています。それは私どもの良心を考える上で、非常に大事な視点です。「この10年間の中で2回、少年法は(厳罰化の方向に)変わったいます。それでもまだまだ要するに、(厳罰化が)足りないと、少年だからって、(加害者少年を保護するのではなくて)悪いことをしたんだから、名前と顔を出せっていう(いっそうの厳罰化を求める)意識が強くなっています」とも言います。
何故なんでしょうか?
昔、森達也さんがナビゲーターになって、最も寛容な司法制度を整えているノルウェーの実情と、その仕組みを基礎づけた、犯罪学の世界的権威、ニルス・クリスティ教授(オスロ大学法学部教授)のお話を紹介する番組「未来への提言」がありました。それを見た時の感動を私は忘れることはできませんね。クリスティー教授は「私はこれまで、モンスター(怪物)のような犯罪者に会ったことはありません。どんな犯罪者も人間です。生活環境を整えれば必ず立ち直ります」とおっしゃいます。根源的信頼感の豊かさが、クリスティー教授の、穏やかな表情やそのお優しい語り口ににじみ出ていますからね。クリスティー教授は、市民参加型の司法制度を提唱されて、日本の「裁判員制度」も、このクリスティー教授の「市民参加型の司法制度」を範とするもです。ノルウェーの刑務所を見れば一目瞭然。受刑者は服装は自由、食事も冷蔵庫から自由に食材を出して、包丁を使って、料理もできる(下の写真参照)。部屋は個室で、日本のビジネスホテルよりも、はるかに充実している。写真、ゲーム、テレビ、パソコン、本や雑誌も自由に見れる。殺人犯でも、一定の条件があれば、外泊だってできる。それは、それだけ、人間に対する信頼が厚いから、根源的信頼感が、おしなべて豊かだからできる話ですね。多くの人の良心が、寛容で人懐っこくて、陽気で楽しい「良い良心」だからこそ、できることです。「良い良心」が形を得て、受肉したもの、それが、ノルウェーの刑務所です。このノルウェーの刑務所所長さんは「刑務所でひどい扱いを受ければ、ひどい人間になって、社会に適応出来なくなります」と言います。
他方、「絶歌」がバッシングを受け、裁判員制度が出来ても、司法も少年法も、人権尊重の方向に、ではなく、厳罰化が進み、学校でも、「勉強に関係にないマスコットをランドセルに付けちゃぁ、ダメ」と言われるほど厳罰化が進んでいます。それは多くの日本人が「人間を上下2つに分けるウソ」の猛毒にやられていると同時に、過労死するほど自分を追い込み、非常に弱い立場であることが多い犯罪者や外国人の日本市民に対して、「殺せ」、「出ていけ」、「死ね」、「顔をさらし者にしろ」と、激しく、厳しく、裁く「悪い良心」を無意識裡に背負い込まされているからなんですね。酒鬼薔薇聖斗さんが社会に出て、うまくいかず、今回「絶歌」を出さざるを得なかったのは、私どもが「人間を上下2つに分けるウソ」の猛毒に侵され、無意識レベルの「悪い良心」にやられていて、その「悪い良心」を反映した、受刑者に対してひどい扱いしかできない、粗末な刑務所・少年院しか持っていないからなんですね。
みなさん、
1)自分が、「自分が上か、下か」で人を見ているかどうか?
2)自分の「良心」が寛容なのか?
3)人にも、自分にもすぐに「ダメだぁ」と言いたくなるのか?
を一度点検してみてくださいね。良かったから、点検後の整備もお忘れなく!
受刑者と共に食事を摂る刑務所長 良い処遇をすることが、社会に戻った時に、受刑者が社会に適応する時に役立つ、と話す。
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